今年の春
- 近況
もう4月も終わり。あっという間ですね。
今年度より正規の職員になりました。今後ともよろしくお願いします。
異動もなく、原稿も結局出さず。ちょっと振り出しに戻った感がありますが、ちょっとずつでも前に進めればと思う次第です。
- 今年の春
えっらい桜がきれいに咲きました。
↑広瀬にて
↑たまたま風がふいてこんな感じに
↑夜桜と石灯篭です。
- 後醍醐天皇ゆかりの地を歩く
ウォークイベントに参加してきました。船上山にも登りましたよ。
ちなみにスサノオノミコトが下りた山は船通山。よく似た名前です。
↑名和一族の墓。五輪塔です
↑船上山に登る途中。3年に一度の草焼きの後とのことで、めずらしい風景だそうです。
↑船上山の山頂。
山頂のイメージとは逆にびっくりするくらい平で、こういう石垣があったり、かなり立派な土塁が沢山ありました。往時は沢山の寺院があったんだなとしみじみ。
何もないイメージでしたが、そのくらい人がいたのなら天皇だって連れてこれますね。しっかしよくこんな所まで連れてあがったなぁ…駕籠かつぐ人も大変だったのでは。
↑船上神社の鳥居。
↑ご神木の大杉。すごい迫力でした。
寒中見舞2014
- どんだけぶりなんだ…
気が付いたら2013年終わって年明けてました。すえさわです。
去年は1回も更新しなかったんだなこのブログ…。
本年もよろしくお願い致します。
2013年は年明けから年末に至るまで、いやぁまあほんと、これでもか!!ってくらい色々ありました。
上司が変わって職場環境が変わったり。
採用試験を受けるのに頑張ったり挫折したりだらけたり、落ちたり受かったり。
祖父が亡くなり、母方の祖母も亡くなり。
本人は元気なので、最終的には良しとしよう…
ただ、自分の生き方に関して、性格とか癖とか、いろいろ変えていかねばならんと常々思います。
自分という壁が高い…
- 今年の抱負とか
もはや旧正月ですが、今年の抱負など。
細かいところではいろいろあるのですが、この1年は、自分の「言葉」をしっかり使えるようになりたいと思っています。
普段何気なく使っている、書いている言葉と、報告書や論文にふさわしい言葉。これらを使いこなせるようになりたいなと。
今更といえば今更なのですが、自分の表現したいものを的確に表す、というのは案外難しい。
このブログももうちょっと更新していきたいし、ずいぶんと書いてなかったお話し書きもしたいと思っています。
ひとまずは、この、ミニ論考ちゃんを…なんとか…
- 昨年をちょっとだけ写真で振り返る
大山に登ったときのものです。山小屋で一泊して翌日仕事という強行軍でしたが…よかったー!!
山頂は天上の世界でした。ヒメホタルに星に漁火…
山好きが絶えないのがよくわかりました。
今年はゆっくり写真撮りにも行きたい。。。
↑夏の大山北壁。
↑大山キャラボク。
↑山頂からみた米子市街の夜景。圧巻。
↑山頂付近の木道。ちょっと自信作です。
ご来光は見えませんでしたが、影大山がくっきり。
砂漠の真ん中で
- 読み終わった勢いで書いています
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06/29
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 73回
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試験返り、道中が長いので前から読みたかった伊坂幸太郎の『砂漠』を購入。やくもに乗ると酔い対策に即寝るこの私がですよ、いっさい酔う気配もなく、やくもの中で読了してしまいました。
「あの頃、僕たちは砂漠の中のオアシスにいたんだ」
というオビにはじまるこの物語は、最後こう締めくくられます。
「―四月、働き始めた僕たちは、「社会」と呼ばれる砂漠の厳しい環境に、予想以上の苦労を強いられる。その土地はからからに乾いており、愚痴や嫌味、諦観や嘆息でまみれ、僕たちはそこで毎日必死にもがき、乗り切り、そして、そのうちその場所にも馴染んでいくに違いない」
私が就職して一年と5ヶ月目。
大学の友人は三年半、短大や専門学校を出た子らは5年にもなる。
それだけの長い間、みんな砂漠で生き抜いているわけですね。
ここしばらく砂漠のど真ん中で遭難しかけていたのですが、乾いた砂漠に雪が降ったような気持ちになりました。
多分雪は一瞬で消えて、砂はもとのとおり乾いていて、現実はやはり砂漠の真ん中でどちらにいけばよいのかわからす飢え乾いていることには変わりないでしょう。
ただし、砂漠に雪が降った、そんな一瞬の奇跡みたいなものがあるからこそ、生き残るためにあらたな一歩を踏み出そうという気持ちになれるのだと思います。
私にとって物語とはいつもそういうものです。
まだオアシスにいる人々にも、砂漠の真ん中でもがいている人々にも、是非お勧め。
- なんやかんや近況
まあとはいえ元気にやっています。相変わらず体だけは丈夫です。心配で眠れない日もないこともないけど大概寝れます。朝ラジオ体操をするようになってから体調がいいです。マジです。
それより山陰のくせに毎日クソ暑いのがけしからんとです。
- すぐ忘れるからな!!写真だけでもUPしとけ!!
◎東京旅行
しばらくぶりでも話しているとそんな気がしないのが友達のよいところです
お台場!!
涼しくって気持ちよかった。まさかの東京オアシス。
ジブリ美術館!!!いろいろ見どころありすぎて。
だれか私に書斎と星のタネうってください
定番東京タワー。
「おじさん、もしかしてリリーフランキ―?」という友達の言葉に腹筋がwwもっていかれたwww
◎大山登山
初登山にしてユートピア。満開よりちょっと手前でした
花と蝶(多分オオウラギンスジヒョウモン)。頂上は虫と花の楽園でした。
アサギマダラもみたんだけどなー、ちゃんと写ってなかった…
見知らぬお兄さんが妙にマッチ。ここがユートピアです。
生きてます
- テスト前になると急に掃除がはかどる状態
お久しぶりです。
今年こそはちゃんと更新するぞー!とか思っていたら6月も半ばに突入しちゃってましたね!わあ!!
鬼のような年度末を超え、ちょっとした修羅場としてGWを超え、今年こそ採用試験うけるぞー!!と思っていたら自分の発表とほぼ被ったのがこの私です。
なんかでる採用でる採用10月いっぴなので泣きそうです。現場担当1人なのに。いじめか。
ちなみに勉強は微塵もはかどりませんが、部屋は片付きました…
- ライジングにレキシ参戦ときいて
今年もライジングが近づいてきました。
昨年ライジング「後」に妙にハマったのがこちら↓
- アーティスト: レキシ
- 出版社/メーカー: cutting edge
- 発売日: 2011/03/16
- メディア: CD
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きらきら武士
狩りから稲作へ
このCDを買ってきいてから、なんていうか…すごい敗北感を感じます。いやまじで。
「歴史と遊ぼ」がコンセプトですからね。レキシ―ランドですからね。そうだレキシ―ランド行こうですからね。牛若丸空の旅ですからね(←ここすごい好き)
しかも椎名林檎とか歌丸さんとかDさんとか…エエエエエエエ何やってんのおおおおお!!!???
普段いかに分かりやすく話すか、とか、なるべく史実に基づいて…とか、真面目にやっているわけですが、そんなもんは面白すぎる歌詞とポップな音楽の前には全く歯が立たんというか。
レキシのすごいところは、いともたやすく歴史で遊んじゃっているわけです。我々とは真逆のベクトル…ですが、多分歴史が嫌いな人でもこれなら聞くし、高床式倉庫も覚える。
そうなんですよね。結局はどこかで遊び心を持っていかないといけない。でも専門家は専門家なんですよね。
そういう意味では、なんかこう、悔しい。とても悔しい。
縄文から弥生への移行期にはもうマンモスいねーよとかそんなツッコミはすごく無粋なわけです。
そんなわけで、今年ライジングに行けたら絶対見たいです。レキシ。
そして言いたい。
「私は弥生土器のほうが好きだ」と(※重要)
【追記】
The Birthdayアルバム&ツアーきたよおおおおおおおおおお!!!
松江もくるよ!!でも現場終わりだよ!!しんでるよ多分!!
でもこれを楽しみに、今年の夏も生き抜きたいと思います。
【考えたこと】身体と精神、とか
なんか急に読みたくなったので本棚をあさったら「迷宮百年の睡魔」がなかったので女王の方を読む。
一番好きな森博嗣作品と思っている(犀川&萌絵シリーズじゃないとかまさかの外道)、くせに所蔵していないという…幻冬舎文庫で買ったつもりになっていた。
しかも貼ってあるのは漫画の方w
- 作者: 森博嗣,スズキユカ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 文庫
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※以下ネタばれ注意
高校生のときに図書館で借りたのは迷宮〜の方だった。表紙の僧侶にシジャケ惚?した思い出。
このシリーズの何が好きかというと、「身体と精神」であるとか「生と死」であるとかに対する哲学的な問いかけをストーリーとキャラクターに含めている点なんだけど。
高校生の私にクリーンヒットしたのは主人公のミチルとロイディ(ウォーカロン、森世界のアンドロイドといえばいいのか)の関係が実に倒錯的だったこと。もっといえばミチルの不安定さと「両性具有」っぷり。
主人公のミチルは「男」なんだけど、とある事件により体は死んだ恋人(女性)の体になっていて、しかも脳が体に入らなかったので、脳はロイディの中にあり、体には通信用の機械が入っていてそれが壊れると体が動かせなくなるという。もっとも生命活動には支障がないらしいが…すごい設定だなおい。
作中で何度もミチルは問いかけられる。ミチルは「生きて」いるのか?男なのか?しかも迷宮百年の睡魔ではさらに「存在」に追い打ちをかけるように、クローンであることが明かされる。
「生きている」「存在している」という不確かさ。だけど「ここにいる」と思っている「自分」。これは「精神」、もっといえば「魂」と言えるんだろうか。
十代後半の自分にとって、それは大きな問いかけだったと思う。
ただ、確かなのは、「サエバ・ミチル」はミチルの思うミチルとは違うのである。他人からみたミチルうんぬんもあるけれど、今のミチルは「女性の体をもった」ミチルなのである。
それが私がとびきり引かれた理由だった。
厨二どころか高二病乙wwというのはまあ一端置いといて。
作中のミチルとロイディは、「男」と「女」以外の何物でもないというか。逆にいえばミチルのロイディに対する態度…甘えたりわがままを言ってみたり、依存したり突き放したり…は、男の身体だと起こり得なかったように思う。
何が言いたいかというと。
「私」という存在…ここにいる!と思っている自分は、あると思っている「魂」「精神」は、身体からの影響を受けずに存在しえない、切り離せないのである。
自分は女性なので、生理前に妙に不安定になったり落ち着かない…という経験があるからなおさらそう思うのかもしれない。
お腹がすいたらつらくて寂しい気持ちになる。悲しい気持ちになるときもある。そういうのも結局は身体に縛られているんだなと思う。
恋愛が「思い込み」あるいは「勘違い」などから始まる…のも、ようは身体の動揺とか調子とか、生殖本能とかに左右されている部分は大いにあるんじゃないかと思うのである。
そう思うとなんだか悔しいのは私だけだろうか。
男女の間で友情が成立するか否か、というのはよく論争になるけれど、ようは身体の動揺に左右される可能性を否定できないというのをみんなそれなりに自覚しているんじゃないだろうか。
精神が身体に左右される、というのは自明なんだけど、普段自覚することはない。なかなかない。
えーと。前置き?が長くなったような。
ようはするに、今日は考えたのだ。で、書きたくなったのだ。久しぶりに、長文で書いておきたかったのだ。
恋に落ちるのは簡単である。基本的には身体が生殖本能をもって、そそのかすのだから。でもその恋が落ち着く瞬間は必ずやってくる。大なり小なり。
それでも相手を大事にできるのは、その期間に残るもの、「関係性」とか、沢山喧嘩したとかどっか行って楽しかったとか、そういう「絆」があるからなんだと思う。それを愛と呼ぶんだろう、ようするに。
駆け落ちするのは簡単である。恋してるからね。本能にしたがってるし。愛もあるでしょう。
でも駆け落ちしたあと、10年20年後悔せずに幸せにやっていけるかは、まったく別の問題なのである。
だから恋物語はくっついたら終わるし、叶わないからといって心中してしまう。お前ら生きて幸せになる覚悟はなかったのか?!「めでたしめでたし」でその後が語られることはほとんどない(例外は原作ハウルくらいかなー。あのラスト、大好きです)。
脳みそや身体に左右されるのが人間なんだな。それは仕方ない。でも人間の人間らしいところは「精神」や「魂」を脳みそに生み出したところだと思う。
男女含めいろんな人間関係があるけれど、身体に振りまわれることなく、男女関係なく、お互いを尊重できる付き合いができるのが私の理想なんだろう。
まあ「体ごときに左右されてたまるか!!」みたいな変な反骨精神も含まれているんだろうけど。
長くなった。てか多分起きたら呆れるなコレ。
いつかもうちょっと推敲したいです…お休み