さよなら、ありがとう。

さよならできるか 隣近所の心 ―8823/スピッツ

二月末に卒業旅行イン和倉、6日にバイト先の送別会、7日〜12日まで卒業旅行(屋久島)。14日文芸部追いコン。で、ぼちぼち卒論製本すっかと思ったのが甘かった。いや、土日に比較的まったりしたのがまずかった。
明けて月曜に大学行ったらアレですよ、鬼軍曹によってPDF化して印刷するだけの卒論製本作業がインデザイン(当時使ったことなし)での編集にグレードアップされまして。そっから怒涛の編集作業ですよ。
まさか卒業式の一週間前に大学に泊まりこむことになろうとはな……
9人中結局手伝いにきたのは女子の友達2人。軍曹がSデレを発揮してくれたので2人も片付けてくれたものの、結局自分も含めて4人編集したもんだから、柳田は残念なクオリティになるわ、司書は放棄するわ、片付いてなくておかんに怒られながら引越しするわ。
とりあえずこの怒りはがっつり男子にぶつけておきました(笑)が、飲み代が半額ただになっても時間は帰ってこないわけで。ちなみに20日に兄・父が来襲、21日柳田の発表、考古研追いコン、22日大阪。23日卒業式、24日引越し、引き払って帰省。

ようは名残惜しき金沢ライフは惜しむ暇なく怒涛の勢いで消費され、卒業式を迎えてしまったのでした。

卒業式は袴着ました。赤と黒。珍しくばっちりメークだったけど夕方にはパンダでした。自分のカメラの画質に感動、でも写ってる自分の顔にしょんぼり。
あれもやってないし、これもやりたかったし。
あっちにも行きたかった、こっちにも行けばよかったなぁ、と思う。
不義理もやらかすし、未回収の事象がいくつか残ってるし、卒論の製本だけはなんとかできたものの、結局綺麗さっぱり卒業とは行きませんでした。まあそんなものかな、とは思うけど。
あっという間の四年間だったなぁ。
金沢に受かってなかったら岡山に行ってました。「じゃあ最初から岡山受けなさいよ」とおかんは言います。
でもここにこなかったら出会わなかった人々、考えなかった物事、見えなかった風景が数限りなくある。
この四年間は間違いなくあたしに必要な四年間だったと胸を張って言える。

ありがとう。そしてしばらくはさようなら。
一人で暮らしているといつの間にか一人で生きているような気分になることもあった。
でも間違いなく、この町の誰かと誰かの間で生きていたんだね。
いつでも会えると思っていたのに、明日から会えないと思うとこんなにも寂しい。
あの部屋に明日から住むのが違う人だと思うとなんだか切ない。

また行きます。また会いに行きます。金沢じゃなくても、会いに行くとも。
生きて歩いていけるなら、いつだって。
不安とか心配なこととか考えると沢山あるけど、近くに友達もいるし、きっとなんとかなるというか、なんとかしてやろう。

次に会うときはもっといい女になってよう、と思います。


だからそれまで、みんな元気で。